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2008年8月13日 (水)

韓国・平和の旅⑪-まとめ

■韓国の旅を終えて

 韓国に行って本当によかった。

 日本人として生きることの意味、重さを感じた。

 60年前に終わった戦争は、60年後の今も、様々な意味で続いているんだと実感させられた。よく「“いじめ”た側は忘れても、“いじめ”られた側は忘れないものだ」と、そんな話がよくある。戦争を“いじめ”にたとえるのは、どうかとも思うが、独立記念館で見た、何百本もの韓国国旗。西大門刑務所にかけられた大きな韓国国旗、高々とこぶしを突き上げた像などなど、韓国で見た一つ一つに、「もう二度と誰からも支配されない」という強い意志と、誇り、そして侵略への怒りが伝わってきた。侵略された側の屈辱、怒りを、私ははじめて肌で感じたのかもしれない。

 日本軍「慰安婦」歴史館の中に作られた、慰安所、2畳ほどの小さな部屋、薄暗い部屋の中にある、木のベットと、アルミの洗面器…入り口から部屋を一回り見回した。よく考えると、けっきょく私は、その慰安所の部屋に入らなかった。無意識のうちに、私はその部屋に入ることを拒否していたのだろう。

 西大門刑務所でも、人一人が立ってやっと入れる拷問の箱が再現されていたり、拷問の様子が蝋人形で再現されているのを見ながら、私は、感じ、考えるのをやめていた。たぶん、自分の目の前に展示されている内容を、自分のこととして受け止め、想像したら、その場にいることは絶対に出来なかったからだろう。一生懸命、客観的に、感じないように、感じないように見ていた。

 拷問を受けた人たちは、日本軍の侵略に反対し、韓国の独立のためにたたかった人たちだ。まさに、日本の反戦、平和を掲げてたたかった日本共産党員に通じる。しかし、日本人が日本人にした拷問、虐殺は、怒りになる。だが、日本人が韓国人、別の民族にした行為を目の前で見せられたとき、怒りにはならない複雑な思いになった。

 “追悼の碑”の前で手を合わせたとき、私は心の中で「ごめんなさい」とつぶやいていた。なぜか涙がでてきた。息苦しくて、言葉を失った。出てくるのはため息だけだった。

 たぶん、日本が60年前の戦争を、侵略戦争と認め、きちんと謝罪し、反省し、未来に向かっていたら、同じ展示を見ても、もう少し違った感じ方をしていたように思う。

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 ちょうど、私たちが見学に行ったとき、小学校にあがる前の子どもたちが、先生と一緒に列を作ってこの刑務所の中に入って行った。

 その後を追うように、私たちも入り、展示を見ながら、あの子どもたちが、これを見たのかと思うと、ぞっとして、いたたまれなくなった。

 日本人が自らやった行為を知ることなく生活している日本人と、韓国国民がかつて受けた行為を生生しく知らされている韓国人。ここには、大きな隔たりがある。

 私たちは、地下鉄の中でも、食堂でも、なぜか言葉数が少なかった。それは意識してなのか、どうかはよくわからない。でも、過去の戦争のこと、この国の人たちにした侵略行為を知れば知るほど、日本語を話せなくなっていった。

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 韓国ではじめて出会ったチャンさんは、私たちに「過去の歴史を知っていますか?」と聞いてきた。

 私は「知っています」と答えた。しかし、私は、知らなかった。

 バスの中でたまたま座ったおばあちゃんに、「日本人?」と日本語で話しかけられた時、私は、ここでもいたたまれなくなった。なぜ、このおばあちゃんが日本語を話せるのか。そう考えただけでも、苦しくなる。

 くったくのない笑顔で、私たちを独立記念館の前で見送ってくれたおばあちゃん。ガイドブックを開き、きょろきょろしていると、すぐ誰かが話かけてくれる。どうして、みんなこんなに良い人たちなのか、なんでこんなにやさしいのか。日本人なのに、あんなひどいことをした日本人なのに・・・・・・。

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 日本軍「慰安婦」の水曜集会でも、みんながコールをしているのを、そっと見ていることしか出来なかった。一緒に、大きな声をあげることが出来なかった。すごく複雑な気持ちに、ここでもなった。

 私たちに言われていること、日本政府を変えられるのは、私たち日本人。そう、考えると、その責任の重さを、感じずにはいられなかった。

つづく・・・

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