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2009年8月 6日 (木)

8月6日8時15分

 2009年8月6日8時15分・・・

 広島に原爆が投下されて64年。移動の車のラジオで、平和記念式典の様子を聞きました。

 秋葉市長の「平和宣言」では、オバマ大統領の「核兵器のない世界へ」の演説にふれ、

「力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼びかけます」「2020年が大切なのは、一人でも多くの被爆者とともに核兵器の廃絶される日を迎えたいからですし、また私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、次の世代への最低限の責任をはたしたことにはならないからです」

 と、その決意を強調しました。

 子ども代表の「平和への誓い」も、「私たちはあきらめません」と、非常に感動的でした。

 そして今日、被爆者のみなさんが、自分たちの病気の原因が原爆によるものであると、認めてほしいと裁判をはじめ、全国でのたたかい(原爆症認定集団訴訟)は、国側の敗訴が続いてきました。

 やっと、国が動き、原告全員を対象とした救済策が提示され、解決の方向へ向かいました。

 「一人ひとりの力は微力であって、けして無力ではない!」

 「その力が集まれば、国をも動かす力になる!」

 この言葉が、また一つ証明されました。こんなに嬉しく、感動的なことはありません。同時に、2020年、本気で、核兵器を廃絶する歴史的瞬間を、自分たちの力で勝ち取りたい!と、心底思います。

■子ども代表「平和への誓い」全文

 人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。

 お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。

 新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。

 しかし、命は一度失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は、尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時間です。

 あの日、原子爆弾は、広島の街を一瞬にして飲み込みました。

 建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。人々の皮膚は、ボロ布のように垂れ下がり、「助けて」、「水をください」と何度も言いながら、亡くなっていったのです。それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。

 多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい、「闇」の世界でした。

 世界の国々では、今も、紛争や暴力によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆二世の人もいます。だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

 これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか。

 それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、けんかやいじめを見過ごさないこと、大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で、世界の人たちに思いを伝えること。

 今の私たちにできることは、小さな一歩かもしれません。

けれど、私たちは、決してあきらめません。

 話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。

 そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。

 平成21年(2009年)8月6日

 こども代表 広島市立矢野小学校6年   矢埜哲也

       広島市立五日市南小学校6年 遠山有希

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